L'art fantastique/      幻想芸術

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公式BLOG

内外幻想芸術紹介とレヴュー。
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山下清澄 銅版画展/ Kiyozumi Yamashita Copperplate picture exhibition

kiyozumi

 京都・左京区吉田にあるギャラリー「アートゾーン神楽岡」で行なわれている「山下清澄 銅版画展」を見に行ってきた。

 ギャラリーはほぼ白川通りに近い神楽岡通りを、今出川から下がっていった所にあり、入り口は地下にあって靴を脱ぎスリッパに履き替え階上へと上がっていく、という構造のモダンで落ち着いた雰囲気のある所。
 この展覧会は、先週の新聞の美術欄の展覧会評で知ったのだが、載っていた作品を見て自分の作品傾向や趣味性にも近いものもある、「これは是非とも実物を見ておかないと!」という想いで出掛けたのだった。

 山下氏の作品はギリシャ神話や星座など幻想的なテーマの他、数字や記号に女性という要素を使って装飾的、幻想的に表現されており、絵を見ているだけでそこにに潜んでいる数々の物語が想像出来る楽しさの他、何より私的に魅力的に感じたのは、その超細密に作り上げられたひとつひとつのモチーフの表現である。美しさと過剰が混在した装飾を見ていて強く惹きつけられる。作品それぞれの部分部分をじっくり近くで見、いつまでも憩っていたい気になる。(ギャラリーの方はそういう魅力がよくわかっておられるようで、来るお客さんたちにルーペを貸し出していた)。
 また裸婦をモチーフにしながら生々しいエロティシズムではなく、どこか神聖な雰囲気を感じさせる儀式的裸体表現が展開されていたり、裸婦の曲線などは少しヴンダーリッヒを思わせる、特異な形で描かれている。人間の形をしているが、どこか異世界の住人であるかのようにに感じさせる。シンプルながら深い色使いで様々な部分で作品を楽しめる。我田引水だが、自分の作品にも共通する要素を見出し、大いに、勉強になった。色々なものが得らる佳い展覧会であった。

           (近藤宗臣/画家)
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フェルメール展〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち〜に寄せて

felmer

 フェルメールの絵には、静寂が溢れかえっていた。

 フェルメールとは、17世紀にオランダで活躍した風俗画家である。展示場には、フェルメールを中心とした、オランダ、デルフトを拠点として、創作活動をした画家の作品を中心に展示がされている。構成は、フェルメールに影響を与えたであろう、同じくデルフトで活動した作家を前半に、フェルメールを中盤に、そしてフェルメールから影響を受けたであろう作家たちを後半に展示している。

 前半は、ピーテル・デ・ホーホやカレル・ファブリティウスの展示が中心だ。
 ホーホは、母親や家庭のモチーフを好み、子供の面倒をみる平民の主婦の風俗画を巧みに描く。レンブラントの弟子であるファブリティウスは、火薬庫爆発によりその作品は残念ながら大方燃えてしまったが、奇跡的に残った作品を多数展示している。ファブリティウスは遠近法や錯覚を起こす透視図法を多用し、レンブラントの影響を残しながらも大胆な構図で画を彩る。

 フェルメールについては最後に言及するとして、まず後半の展示について述べたい。

 後半は枚数は少ないが、フェルメールのように光を描く風俗画が多い。その絵の構成、ニュアンスにより、様々な寓意を込められて描かれたそれは、観ている人間の想像力をかきたてる。当時のオランダの平民の生活が、切り取られ、その姿は額の中に生き生きと留められている。

 そして、フェルメールについて言及したい。当展示では、多作ではない作家、フェルメールの絵画が7枚展示されているのが目玉だ(しかし作品保護のため、「絵画芸術」という絵は展示されていない。実際は6枚である)。
 代表作こそ無いものの、40枚無いフェルメールの絵がこれだけ集まることは珍しいだろう。当展示では、フェルメールの代表作とは違った作風の作品を観ることができる。風俗画中心のフェルメールだが、今回は宗教画、神話の絵、建築画なども描いていることがわかる。
「ヴァージナルの前に座る若い女」など、長年フェルメールの作品と断定できなかった作品も閲覧できる。だがどの作品にも共通しているのは、巧みなライティングと絵の持つ静寂さだ。フェルメールの絵には、静寂が閉じ込められているように感じた。また、フェルメールの絵の後に、フェルメールの作品ほぼすべての原寸大パネルが展示されている。もちろん本物には劣るが、楽しいのでぜひご覧になって頂きたい。

 当展示会では、オランダの風景、そして市井の人々の生活を垣間見ることができる。また、風俗画中心のフェルメールの違った一面を覗くことができる。そしてなによりも、まるでデルフトの空気を感じられるような展示会であった。

                   (矢野沙織/美術評論)

付記:今期口絵の『絵画芸術』はウィーン美術史美術館の翻意で日本に来ていない。ミステリアスなこの代表作はフェルメールにおける幻想性を語る好適な材料であったが、今回は矢野氏にごく一般的な展覧会レビューをお願いした。(IFAA代表/田中章滋)
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たつき川樹個展『夢見る女』

たつき川樹個展『夢見る女』(2008.8.4取材)

イツキ

今日は大阪・中崎町にあるギャラリー「いろり村[89]画廊」まで『「夢見る女」展〜水彩作家たつき川樹の世界』を見に行ってきた。
たつき川さんは以前京都のギャラリー同時代でも行なわれた「IFAA〜国際幻想芸術協会展」にも参加しておられて、私も次回からこのグループの展示に参加する縁もあり、ミクシィでも作品を見た事があったりで知り合ったのだが、本格的に個展という形で多くの作品を見るのは初めてだし、楽しみだった。
今回の展示作品はたつき川さんが雑誌に投稿していた時代の作品も含めて大小様々な作品が展示してあったが、その幻想的な人物像の描き方は本当に独特だし、何より目の描き方が美しくもありグロテスクもあるような奇妙な個性を放っていて凄く印象的。
それから装飾部分の細密な描き込みはまさに私好みだったし、白を抜く部分とのバランスが絶妙にうまくて、ペン画作品も多く手掛ける私自身も凄く参考になったり、カラー作品にしても色の使い方が非常にウマくて最近作は鮮やかな魅力があり、昔の作品は深みのある渋さやダークさを持った魅力がある。
昔の作品は今回限りという事で値段もかなりリーズナブルに設定されていて私でも買える値段だったので1点入手したが、こんな高いレベルの作品があんなに安く入手出来るなんて凄く得した気分だったし、展覧会としても非常に得るものが多いもので行って良かったと思う。

イツキ2

それにしてもギャラリーに入ってしばらくしたら幻想画家の大竹茂夫さんが入ってこられて驚いた!
何故か大竹さんとはよくこういう展覧会で会う機会が多いが、今回も大竹さんが虫やナマズを食べた話とかまたもや面白い話が飛び出して楽しかった☆

                 (執筆者:近藤宗臣/画家)
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Fantastic Beast展に寄せて 〜「怪物」の居る場所〜

Fantastic Beast展に寄せて 

〜「怪物」の居る場所〜

fb     

Fantastic Beast。
直訳すると「幻想的な怪物」とでも言おうか。
「怪物」―。怪物とはどういったものだろう?
まず、私は「怪物」を「社会の異端者」と定義したい。
その視点から、本展覧会を語りたいと思う。


まず黒木こずゑ。
氏の描く「怪物」は皆未成熟な子供たちである。
ここで注目したいのは、本来社会というものは大人の主権のものである。
だが、黒木の描く世界の覇者はメルヘンチックな未成熟の怪物―。
そう、子供たちである。


次に村田らむ。
氏の描く「怪物」とは欠損した奇形の生物だ。
穴のあいた手に、くしゃくしゃに老化した赤ん坊・・・。
穴だらけの体で笑う「怪物」には奇形の美しさを感じた。

kasima佳嶋

また、対照的な二人の作家の作品について言及したい。
まず、青木典子と佳嶋。
前者の描く世界は非常に、性的なまでに肉感的である。
ところが、佳嶋のそれは非現実の美しさの世界だ。
青木の作品は、男根を想像させる直接的な性を感じさせる作品が多い。
普通一般社会において、直接的な性は表向きには「排除」されている。
これもまた、「怪物」なのだ。
そして佳嶋。
佳嶋の世界の住人は、社会には収まりきれないほどの美しさを放っている。
美しすぎる生き物たちもまた、「怪物」なのだろう。

koyama小山哲生

leofbレオ澤鬼

次の対照的な二人の作家は、小山哲生とレオ澤鬼。
二人の作家の主なモチーフは「女性」であるが、
前者の女性にはセックスアピールが少ないのに対し、
後者のそれには禍々しいまでにセクシュアルである。
詳しくそれぞれについて説明しよう。
小山哲生の作品の女性たちは、宝石の輝きに閉じ込められた、まさに幽閉された女性たちである。
幽閉されたそれは、時間を経ることなく、ただひたすらに一瞬の美を放つ。
時間を超えたそれもまた「怪物」なのであろう。
レオ澤鬼の作品のほとんどは、巨大な乳房をたたえた女性たちである。
溢れんばかりのセクシュアルな美に見る者は倒錯するだろう。
これは前記の青木とも共通するが、収まりきらない性は社会には排除される。
これもまた、「怪物」である。

そして田中章滋。
田中章滋の描くモチーフの多くは神や勇者といった、人に崇め奉られる存在である。
人々に崇め奉られるもの、それは、社会を超越する。
超越してしまった存在もまた、「怪物」なのではなかろうか?


ここまで、7人の作家、それぞれの「怪物」について言及した。
それでは、怪物のいる場所とはどこだろう?
まず黒木、子供。村田、奇形。青木、レオ澤鬼、直接的なセックス・シンボル。
佳嶋、美しすぎる生き物。小山哲生、時間を超越した者。田中章滋、神。
これらの存在は、「社会」には存在はしていない。
だが、あなたはこれらのどれか一つは必ずや遭遇しているのではなかろうか?
そう、「社会」を外れたところに「怪物」は存在する。
では、「怪物」の住む世界とはどんなところなのだろう?
そして「Fantastic Beast」。
幻想的な怪物。
もうおわかりだろう。
社会を外れた幻想世界に怪物は存在する。
言い換えれば、社会を外れれば、幻想世界に埋没することが出来る・・・。
もしあなたが「社会」に疲れたのなら、絶望したなら。
一歩「社会」を外れ、埋没してはどうだろうか?
「怪物」たちの住む、幻想世界に・・・。

               (執筆者:矢野沙織/美術評論)
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◆90.Review

“『IFAA第三回展 幻想芸術展−京都−』に見る、表現の追求”

                    縫采 徹

 別に今回のレビューで、「純粋でなければならない」とか「表現とはかくあるべきだ」という類の論法を振り回すのではない。
 個人的な立場としては、幻想美術という古くさいながらもその本質を捉えているジャンル名で、経験多いプロやこの道に進んで浅い若人が一堂に会して作品発表ができること自体喜ぶべきだと思っている。それも決して、玉石混交と安易に切り捨てられるものでもなく。

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 会場の同時代ギャラリーは、ご存じの通り1928年立の一見して古めかしい建物と感じられる要素が随所に配されている。その内部にズラッと並ぶ41名の作家の作品達は、建物とマッチして在りし日のサロンの空気すら感じるようでもある。
 出展作品群は個々の表現とは別に技法も多様であり、中心となっている油絵・テンペラ技法の他には、日本画・版画・高解像度CGプリント・磁器・写真等といった作品も「“幻想美術”のカテゴリーに外れないもの」であるという条件であれば展示されている。
 私個人は、幻想美術のほとんどは絵画表現がそれだという念頭もあって、展示物をじっくり見るたびにいささか衝撃を受けていたものである。個々人の中に息づく哲学・感性・世界・創造性、それらを目の当たりにして初めて、IFAA(アイファ)が幻想美術というカテゴリーに対して真摯であると実感したのである。

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 「失われた10年」と幻想美術について、IFAA会長・田中章滋氏は引用を元に形容されていたが、現代美術の大きな流脈の中ですら、シュルレアリスムの先駆と衰退によって永く永く継がれてきた血統は。確かに一時社会から消えたかに見えた。が、決してそうではなかった。
 確かに、一時期“絵画”は先進現代美術の立体感やドローイング・後のスーパーフラットを前に衰退した時期もあった。が、その間も自らの純然たる意思で続けられていた個々の作家活動が、幻想美術というカテゴリーを保存し続けてきたのである。

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 幻想美術は、個々人のイマジネーションを表現するということで、純粋美術の代表格と言えるのではないだろうか。
 基本的には、個々の想像力に任せた世界観の表現を主軸とし、具象・写実的表現に基づく空想世界観や哲学的概念・神話的世界の描画・造形によっている。そのため、細かいジャンルを知らなければ、シュルレアリスムと混同してしまう・・・というのも話に聞く。

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 田中氏に、確認の意味もこめて、幻想美術がどの分野を内包しているのかと尋ねたところ、「ヴィジョナリー(幻視的)・アート、シュルレアリスム(超現実主義)、ファンタスティック(空想的)・アート」という回答をいただいた。作品としての境界線はあいまいかもしれないが、これらはそれぞれ思考の経路などで差異がある。
 今回の展示も先に述べた3つのカテゴリに分類できそうであったりそれらを包括している展示ばかりだった。

 現在39名のIFAAの会員は、今後も紹介や公募などでメンバーを増やしていくと、田中氏より伺った。現在世界に幾つもある幻想芸術のグループと交流展示などを通じて1つのグループとして合流し、様々な場所で幻想芸術の展示会をとり行いたいという言葉も出、毎回、海外から作家を招待しているのはそのためでもあるとも言及された。

 今後も段階的に活動と公開と発展の体制を整えつつある団体・IFAA。
 ゆらめき言葉の煽動によって動くことも充分あり得る現代美術界の中で、未だになおその脈動を感じながら、伝統と現在とを調合し続けているこの団体の試みは、無邪気ながらもなお誠実で好い意味で野心的であると思うのである。
 伝統的に、決して時代を率いることのない美術分野。しかし、ある意味で純然たる美術分野とも捉えられるこの幻想美術こそ、私たちの無意識にイメージしている(“アートの世界”ではなく)“美術の世界”そのものではないだろうかと、今回の展示を見ていてそこはかとなしに思ったのである。 (photo by Toru Housai)

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